2013年4月:駐車場で震えて泣いた38歳

山中です、

自己紹介をさせていただきます。

株式会社ホーリーツリー代表をしています。

集客ツールの開発・販売・サポートがメインの会社ですが
海外ツールが使えないPC苦手な女性起業家を応援したくて
上記の事業をスタートしました。

2017年にはLINE集客のノウハウを開発し
累計140人の方に実践していただき
1億4000万円以上の売上に貢献することができました。

東京に拠点を構え事業展開をしましたが
コロナを機に自然に囲まれる神聖な関西のとある場所で
今は家族と愛犬のフレンチブルちゃんと幸せな毎日を過ごしています。

『古事記』や『日本書紀』に記される日本最古の神社が
近くにあるので毎年会社の決算が終わると神社に寄付をすることが習慣。
鳥居や灯籠など歴史に自分の寄付が使われることに癒されています。

そんな僕ですが、幼少期は
空海にゆかりのあるお寺の門前街で生まれ、

実家は旅館、周りは女性(お手伝いさん)ばかり。
男性は主人の父親のみ。

今から思えば、少し変わった家族だったのかもしれません。
おばあちゃんが生きていた頃はおばあちゃんが女帝でした。
僕が小学生くらいに亡くなったのですがその時は
各所のすごく偉い人たちがお葬式に来ていたことをうろ覚えですが記憶にあります。

常に女性に囲まれていたので大学も芸術大学に進み
ここでも女性が9割。でも不思議と居心地が良かったのです。

今でも当社のお客様は女性が大半なのですがやはり幼少期からの体験で生まれた
人格が不思議と関わっているかもしれません。

目次

臆病な人格が作られた8歳の出来事

今ではいろんな方から「すごい人」などと言われますが
実は今でも「臆病な人格」なんです。

自己矛盾から生まれる
人間関係の創造と破壊。

そんな気質がHSS型HSP。
TwitterではHSS型HSPをテーマに運用しています。

臆病な人格の原因は家族。
気性が荒い父親は気分で感情を爆発させ
すぐに物を投げる人でした。

食事中もいきなりお茶碗を机に投げつける。
兄弟でTVを取り合うとリモコンを川に投げ捨てる。

そういえば「そろばんをやめたい」と言った時も
そろばんセットを川に投げ捨ててました。

小学校から帰ると新しい傷が机や家具についていたら
「また、暴れたんだ・・」
と気分が消沈しました。

女帝のおばあちゃんがいた頃はまだマシでしたが
亡くなってからはさらに加速。

誰も逆らうことができない暴君。

自営業なので土曜日に小学校から帰宅しても忙しくて
親は子供に構う暇がありません。

机にあるパンとハムと包丁とマヨネーズ。
自分で切ってパンに挟んで弟と食べます。

ある時、ふざけて弟に包丁を向けたら逃げていく。
子供心にそれが面白くてふざけて包丁を振っていたら
弟の手のひらにあたり、宙に包丁が舞います。

それからはスローモーション。

ゆっくり包丁が僕の右の膝にサクッと落ちます。
皮膚が裂けて中にはミカンの粒がありました。

そしてジュワッと血が溢れてきて初めて・・・・
「うわぁぁ、、足が切れた!!」
と大慌てをするわけです。

何かあったと母が飛んできました。

そして、状況を見て一言、
「お父さんに見つかると怒られるから
バンドエイドで大丈夫」
と、バンドエイドを何重も貼って終わり。

しかも、その2時間後には
自転車に乗って塾に行くのに駅に向かいました。

その理由も
「お父さんに見つかると怒られるから」

この思い出を書いていると
膝に残った傷跡がズキンと・・しました。

思えば、こんな体験の繰り返しで
幼少期を過ごした僕は、

:自分は愛されていない
:何かあっても我慢しなければいけない

という刷り込みで「臆病な人格」が生まれたようです。

お金はそこそこあった裕福な家庭。
でも、そこに僕は幸せを見つけることができなく
人間との向き合い方がわからないまま年を重ねていく。

人の怖いところばかりが見えてしまい
人間不信がさらに加速されていく

こんなメルマガを書くと
数年ほど僕を知ってる人からすると、、

「そんな絶対に嘘です。
いつも自信に溢れて道を切り開き成功する、、
山中さんのイメージしかありません」

と思うかもしれません。

でも、幼少期の爪痕は
今でもたまに発動・・・

・LINEがひらけない
・自分宛のメールがひらけない

理由は、
「怖い内容が送りつけられているかもしれない」
と感情が怯えるからなんです。

そんな筈はない。
理性ではわかっていますが感情が暴れます。

どうやら僕が育てってきた環境は
僕が思う以上に卑屈な臆病な人格を
生み出したようです。

小学生で人の怖さを植え付けられた僕は
定番の中学生でグレます。でも臆病だから中途半端。
人間関係の創造と破壊。
卒業式には誰も友達がいない最低の卒業式。

高校、大学・・・

そして就職。
親の決めた就職先を蹴って自分で決めた会社が訪問販売の会社。
初めての営業。

自己矛盾の陽がうまく作用して仕事は大成功

本当は臆病で引きこもりで無口なのに
この当時はHSS型の自己矛盾の「陽」が発動。

・明るくて
・行動的で
・ポジティブで
・元気よく
・ヒーロー気質

でした。

営業するには最高の人格。
訪問販売では数々の実績を生み出し、

・新人最高売上
・営業所での最速役職
・新人部門で表彰

など・・

思えば、

〜〜〜〜
HSS型の自己矛盾の「陽」が発動した・・
〜〜〜〜

時代の最高潮がこの時だったかもしれません。

20歳くらいの若造が
年収600万円。

20歳の僕は・・・

30歳なら2000万、40歳なら5000万
こんな人生を勝手に描いていました。

でも、、

〜〜〜〜
HSS型の自己矛盾の「陽」が発動。
〜〜〜〜

この状態はそこまで長く続くことはなかった。

:ビビリな臆病な自分

が色んな場面で出てきます。

「お前はヒーローじゃないだろ」
「本当は臆病なんだろ」
「おい!オカマ!粋がるんじゃない!」

そして、

20歳くらいの若造が
年収600万円。

20歳の僕は・・・
30歳なら2000万、40歳なら5000万
こんな人生を勝手に描いていました。

・・・・

18年後・

早朝2時に起床をして
関西から東京まで自走で運転。

寝不足のまま午前中から営業活動。
手取り20万。お小遣い3万円。

ワンマン社長のパワハラ。

30歳なら2000万、40歳なら5000万

想像していた未来と全く違う

もう、ダメだ・・。

2013年4月。

僕は自宅に帰らず
近所にある電気屋さんの
駐車場に車を止めて震えて泣いていました。

続きはこちら↓

追記:

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僕の人生ストーリー、いかがですか?

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